ニュース 日本の文化遺産 世界遺産情報 バーチャルツアー

姫路城

 築城から400年間、一度も戦災にあわず、天守群や櫓、門などが往時のままの姿で残る。巨大な木造建築群として世界でも類を見ない。整った構造や均整の取れた美しさから最も完成された城といわれる。

 世界遺産への登録は、平成5年(1993年)。
姫路城


世界遺産としての価値
  1. 世界遺産価値基準に適合する根拠

    (1)姫路城がつくられた17世紀初頭は、日本で城郭建築が最も盛んにつくられた時代であった。姫路城は天守群を中心に櫓、門、土塀等の建造物、石垣、濠等の土木工作物を良好に保存しており、防御に工夫した日本独自の城郭の構成を最もよく示した城といえる。

    (2)姫路城がつくられた17世紀初頭は、将軍や大名が統治する日本の封建制の時代であった。大名達は、自らの権力を誇 示するために大規模な城郭を競って築いたが、姫路城は現存する最大の城郭建築であり、その壮麗な意匠は、その時代の特質をよくあらわしている。姫路城はこの時代の日本文化を理解する上で貴重な遺産といえる。

    (3)姫路城の建造物群のデザインは、木造の構造体の外側を土壁で覆い白漆喰で仕上げた単純な外観素材を用いつつ、一方で配置や屋根の重ね方では複雑な外観形態を構成しており、独特の工夫をしたものである。白鷺城の別称が示すように、その美的完成度は、わが国の木造建築のなかでも最高の位置にあり、世界的にみても他にないすぐれたものといえる。

  2. 遺産の真正性

     姫路城の建造物群とその所在地域は、築城以来19世紀後期まではここに住んだ歴代大名によって、それ以後は国及び関係機関により適切な維持・管理が行われ、意匠、材料、技術、環境のいずれにおいても創建以来の状態を現在によく残している。
     とりわけ1934年から1964年までの30年間に行われた保存事業は、国が直轄事業として根本的に修理・復原をしたもので、その保存のために大いに意義のあるものであった。この保存事業では、日本で確立された木造文化財の修理のための優れた技術が活用された。また、修理の方針につては、複数の学識経験者によって構成された修理委員会の討儀に基づき決定された。とくに復原のための現状変更については、国がイコモス国内委員会メンバー多数を含む学術的な文化財保護審議会で審査を行い、許可を与えている。この保存事業により文化財としての真正性は次のように保たれた。
    1)意匠の真正さ
     姫路城の建造物群は、16世紀初期からその当初の意匠をそのまま守ってきた。1934年から1964年までの修理においても意匠の復原はほとんど必要がなかった。
     一般に木造の城郭建築では、防火目的のため木造の構造体の外周を土壁で覆う形をとる。このため、土でできた外壁に接した木材にどうしても蒸れや腐れが起きやすい。姫路城の建造物群の場合、建築後かなりの年数を経ていたため、外壁に接した木材や外壁の土は、相当程度破損や腐朽が進行していた。
     1934年から1964年にかけての保存事業では、この破損した木材の取り替えが行われたが、破損部材を取り替えるためには、外壁を取り外す必要があった。外壁の素材の維持のため、壁を構成する土の成分や材料の組成を化学的に検査を行い、それにもとづいて修理前と同じ質の土で壁を復原するべく努めた。また、壁の仕上げについては、伝統的な技法を受け継いだ職人の手によって、昔ながらの手法によって仕上げる努力がはらわれた。このようにして創建時の意匠が引き継がれた。

    2)材料の真正さ
     1934年から1964年にかけて行われた修理では、土壁に覆われて腐朽した木の部材や地盤の湿気により腐朽した部材等の取り替えを余儀なくされた。これらの部材については、木材の材質、仕上げ、加工方法等の綿密な調査を行い、取り替え後の部材が同じ材質、仕上げ、加工となるように努力がはらわれた。取り替えを必要とした部材は、外壁に接した部材の多くと一部の柱の足元等で、その他の基本となる構造体及び建物の内部には当初材がすべて残されている。

    3)技術の真正さ
     1934年から1964年にかけての保存事業では、部材の加工から組立にいたるまで、すべて伝統的な技法で行われ、技術的には創建当初と変化しているところはない。ただし、大天守の基礎については、鉄筋コンクリートの補強がある。これは、5層の屋根を重ねた巨大な大天守の700トンの重量に対して地盤が弱く、水平・垂直方向に大きな変位を生じていたためで、修理を必要とする大きな原因であった。地盤は地中深い岩盤とその上部の土からできていたが、日本は地震国であり、大天守のような巨大な建物では、補強のない地盤では破壊の危険がある。このため将来的な保存を考慮して地盤の中に鉄筋コンクリートの基礎フレームを建物と地下の岩盤の間に挿入した。この補強は、外観からは見えない土中に限ったものであり、弱い土をコンクリートフレームに置き換えただけで他の部分に影響を与えるものではない。
保存修復の歴史
  • 木造建造物は、建造直後からその保存のための細心の日常的な維持管理が必要となる。姫路城の建造物群も築城以来、歴代城主が修理と管理とを実施してきた。なかでも大天守は、石垣上に建つ木造で5層の屋根を重ねた巨大な高層建築であるため、特に細心の注意がはらわれた。歴代城主は、20〜30年毎に垂直・水平方向の変位の調査を行い、その結果をもとに補強や修理を行った。1656年・1692年・1700年・1743年の修理では、垂直・水平方向の歪の是正・支柱の挿入等の補強工事・屋根葺替等が行われている。

  • 19世紀後期以降の近代国家日本の時代になると、姫路城の建造物群は国が所有することになり、1910年には大天守の維持のための応急的な補強工事が行われた。1929年に国宝保存法が制定されると、それまで古社寺保存法(1897年制定)による古社寺だけを対象としていた文化財保護が、城郭建築にも広がった。これにより、姫路城の建造物群も1930年と1931年に国宝に指定された。この時、建造物群はいずれも根本的な修理の時期に達していたので、ただちに国の直轄事業として1934年から30年間をかけて城郭全体の根本的な保存修理を行うことになった。

  • この修理においては、保存修理技術者が現場に常駐し、設計施工の監督を行うとともに、城郭建築全体について修理のための調査を実施した。また、学識経験者で構成される委員会を設けて、指定建造物をどのような方針で修理するかを検討した。

  • この修理で最も注目されるもののひとつに大天守の修理がある。この修理は、わが国の現存木造建造物では東大寺金堂(大仏殿)に次ぐ巨大な木造建造物の解体修理であった。構造・意匠の調査はもちろんのこと、特に巨大建築で問題となる垂直・水平方向の変位等の破損状況、基礎地盤の構成と地質の調査、構造上の欠陥に対する補強方法の研究等を行った。これら調査の結果、垂直・水平方向にかなりの変位があり、その原因が主として地耐力の不足にあることが判明した。また、後世補強用の支柱等が多数挿入されたこと、建具等が一部分改造されていることも判明した。地耐力不足の問題については地下岩盤に直結する鉄筋コンクリート基礎を地下に設置することとした。補強用の支柱については撤去し、目につきにくい位置に取り付けた鉄金物等による補強に取り替え、創建当初の姿に近づけた。後世改造された雑作等については、資料的に明らかなものについて建立当初の姿に復原した。

  • 天守以外の指定建造物についても同様に綿密な調査が行われ、それをもとに修理が実施された。

  • この修理事業の内容・調査結果・図面・写真等の記録は報告書として文化財保護委員会(文化庁の前身)が発刊した。
    また、この修理事業と並行して、自動火災報知設備・消火栓設備等の防災設備を設置し、管理面での万全が図られた。

  • この保存事業が完了した1964年に、国は姫路市を指定建造物の管理団体に指定し、以後は現在まで必要に応じて屋根・外壁補修等の維持的な修理を続け保存している。

※世界遺産一覧表記載推薦書より抜粋
Back

©Asia-Pacific Cultural Centre for UNESCO(ACCU)ALL RIGHTS RESERVED