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古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)

 建都以来19世紀中頃まで1000年にわたり首都であった京都は、時代ごとに新しい文化を育み蓄積してきた、日本文化の中心地であり、各時代を代表する歴史的建造物や庭園の集積した都市である。そして、現在でもこれらの文化資産を残しつつ、約150万人の人口を擁する、日本を代表する都市として生きつづけている。

 世界遺産への登録は、平成6年(1994年)。

賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下賀茂神社)、教王護国寺(東寺)、比叡山延暦寺 、醍醐寺、仁和寺、平等院、宇治上神社、高山寺、西芳寺(苔寺)、天龍寺、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、龍安寺、本願寺(西本願寺)、二条城
鹿苑寺


世界遺産としての価値
清水寺
 清水寺 資産の残存形態は、日本の歴史的建造物のほとんどが木造であるため、京都においても中心市街地では度重なる内乱や火災等により、古代の資産はその多くが地表面から失われているが、周囲の山々の山腹や山麓部は内乱の影響も少なく、10世紀中期以降の建造物や庭園が残り、自然とそれらとが一体となって歴史的周縁部を形成している。
 一方、主要部分は近代化が進んでいる中心市街地でも、16世紀末以降のものは焼失せずに残っているものがある。こうした資産の残存形態は、近代都市に囲いこまれて歴史的中心が残る西欧等の石造の都市に対し、木造建築を主とする京都に特有のものである。
 さらに、京都では祭りや茶の湯、立花等の伝統文化が盛んに行われ、市民の生活や精神の中に資産が活用され文化として生き続けており、名実ともに日本の伝統的文化の中心地となっている。
二条城
 これは、京都市民をはじめ日本の国民が歴史的資産を大切に守ってきたからといえよう。また、今日まで文化の連続性が保たれていることは、歴史上外国からの侵略がもたらす異文化による日本文化の破壊がなかったことと、第2次世界大戦時に京都が爆撃の被害を被らなかったという事実が大きな要因であろう。
 京都は木造建築を主体とする歴史的都市の中で、1200年にわたり一国の文化の中心として機能しつづけている点においては世界で唯一の都市であるといえる。
 京都に残る歴史的建造物や庭園の多くは、国または各自治体により文化財に指定され、京都は質、量ともに国内最高レベルの文化財の集積する都市である。その中で、登録された資産は、10世紀から19世紀にわたる日本の代表的建造物や庭園であり、地域的にも、時代的にも京都の歴史を説明するに足る文化資産群である。そして、これら京都に集積する文化財は、全体として、日本の建築史・庭園史を物語るものである。
 京都は8世紀末から19世紀中期まで首都であり、その政治・経済力や文化的教養を背景に、各時代の日本の先進的文化を育ててきた都市である。その中で、建築においては12世紀までの神社や寺院建築に用いられていた日本の基礎的建築様式である「和様」や、16世紀末から17世紀初頭に用いられた装飾の多い「桃山様式」は、京都において洗練され全国に伝播していった様式である。
仁和寺
 庭園においても、浄土式庭園や枯山水などに同様の現象が見られる。また、16世紀以降各地で都市形成が盛んになった時期に、中心部と周縁部とからなる京都の都市構造を規範とし、京都文化を取り入れた「小京都」と呼ばれる都市が地方に建設された。このように、登録資産は日本の建築、造園、都市の発展に多大な影響を及ぼしたものである。  登録資産に含まれる建造物や庭園は、造られた各時代の精神を反映した姿を呈しており、日本における貴族文化、武家文化といったかつての社会構造を明らかにする上で重要なものである。また、木造建築から鉄骨造やコンクリート造の建築への建て替えに代表される、建築・都市の不燃化・近代化による都市景観の変貌が著しい中で、登録資産は優れた木造建築が環境と一体となって残しており、失われつつある日本の伝統的木造建築文化の証人として、またその技術の伝承のためにもかけがえのない存在である。
龍安寺
 これらは、日本の文化史を彩る各時代の建築様式(特に、神社、寺院、貴族住宅)、庭園様式の代表的な形式を示し、歴史的発展を説明するものとなっている。また、それぞれの資産は建築群、庭園、周囲の自然により、社寺または城として個性化された建築的アンサンブルであり、中には、日本の神社、寺院における、ある時代の典型的形式を呈するものが含まれる。
 登録された17の資産のうち16は宗教施設である。これらは、日本の神社、寺院における建築群と環境のアンサンブルの典型を含むのみならず、日本の神道、仏教の形成、両者の混交の歴史、さらには日本の宗教的空間の特質を理解する上で極めて重要な根拠となっている。また、京都は常に多くの巡礼や信者が全国から訪れる宗教都市の一面も有しており、日本の宗教文化の形成に大きな影響を与えた都市である。
慈照寺
 なお、庭園に関しては、自然と生活とが融合し芸術的に昇華された造形として、日本の文化史上欠くことのできない要素であるばかりか、世界的にも”日本庭園”はその美的価値が広く認識されていることから、歴史的営造物という点で、文化的・芸術的価値の高い風致景観という概念においても、世界遺産の価値を有するものといえよう。
保存修復の歴史
本願寺
 古代には朝廷関係の建造物等の建立や修理については官の営繕組織があり、さらに建都や造寺の際には臨時の造営組織が設けられた。  中世には、幕府や大社寺には専属の工匠がおり、建築工事を独占していた。江戸時代には、社寺の造営や営繕修理は幕府の検分を受け、前代にあった建物の規模・意匠を超えないという方針のもとに行われ、伝統的形式の尊重・継承が主体となっていた。  庭園については、11世紀末に原本が成立した作庭秘伝書とされる『作庭記』に、自然の優れた風景を手本とすること、先人の構築した優れた庭園から学ぶことが作庭の根本の姿勢であると説かれており、登録対象の庭園のように作庭当初から著名な庭園は、その時々の人々によって守り伝えられてきた。特に江戸時代には各地の領主によって名所・名物の保護がなされていた。

 文化財保護を目的とした近代の保存修理は、「古社寺保存法」の制定された1897年以降継続して行われている。 なお、修理方法は破損の程度等によって次のように分類される。

  1. 根本修理
    建物全体に破損が及んでいる場合、建物を一旦解体して破損部材の補修や必要最低限度の取り替えを行い、元の部材を元の位置に同じ工法で再び組み立てる修理である。解体に伴う学術調査によって元の形態へ復原できる可能性のある修理であり、建物の全部材を解体して行う「解体修理」と、軸部材は解体しないままで行う「半解体修理」とがある。工事期間は平均3ヶ年である。
     根本修理の場合には、修復建築家が現場に常駐して詳細な調査、設計、監理にあたる。
    賀茂御祖神社
  2. 維持修理
    • 部分修理
      局部的に破損が生じたときに、破損部分を修理する。
    • 屋根葺替
      瓦、檜皮など屋根葺材が破損したとき、部分もしくは完全葺替を行う。瓦の場合は可能な限り当初材を再利用する。
    • 塗装修理
      彩色、漆などが破損、退色したとき維持的に修理する。なお、美術的価値の高い当初の壁画等については剥落止め等を施して保存する。

木造の建造物が文化財としての価値を失うことなく適正に保存されるためには、定期的な維持修理を繰り返し実施していくことが基本であり、これによって伝統技術や材料の伝承が図られる。  維持修理の周期については、素材の耐久性や気候、環境によって異なるが、屋根葺替を例にとると、檜皮葺の場合約30年、瓦葺の場合約60年が目安となっている。

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