宗廟 |
遺産形態 |
文化遺産 |
遺産名称 |
宗廟 |
関連遺産ページ |
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遺産規模 |
正面約35m、側面約5.5m |
所在地 |
大韓民国ソウル市鐘路区 |
位置図 |
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地理(周辺状況) |
ソウル市内中心部の北側エリア。朝鮮王朝の面影が色濃く残る。 |
世界遺産登録状況 |
登録基準 |
(4)人類の歴史上、重要な時代を物語る優れた実例 |
登録年月日 |
1995年 |
危機遺産登録 |
なし |
成立時期(時代等) |
1394年着工 |
遺産概要 |
韓国の首都ソウルの町中に残された緑の中に、敷地面積19万平方メートルを越す広さの宗廟が今に残されている。1392年、李成桂(太祖)は高麗王朝をクーデターによって引き継ぎ、国名を朝鮮に改めた。都を開城から漢陽に移し、地名を漢陽府とした。1395年、祖霊を祭る宗廟の建設はこの太祖によって開始される。宗廟は儒教に基づき朝鮮王朝歴代の王そして王妃等の神位を奉安し祭祀を行う祀堂と言える。建物群の中で最も重要なのは、正殿と別廟である永寧殿で、そしてこれ以外にも斎室、功臣堂、典祀堂、香大庁、楽工堂などの諸建築がみられる。正殿の建物は間口約100m、建坪約2270平方メートルを測る極めて大規模なものである。建物内は19室に区切られ朝鮮王朝歴代27人の内から19人の王、王妃の神位49位が安置されている。宗廟正殿前面には、花崗岩割石を上面に敷き詰めた広い基壇が築かれている。しかし、これらの建物群も1592年文禄の役にて正殿、永寧殿共に灰燼に帰してしまった。その後、1608年、光海君即位時に重建され、それ以後増改築を繰り返し、今日に見られる形になったのは1836年のことである。朝鮮王朝は今までの高麗王朝が信仰してきた仏教から、新たに朱子学を統治基盤に置く王朝へと変化した時期でもある。宗廟で執り行われる宗廟祭祀は歌、器楽、舞踊などを総合した宗廟祭礼楽によりその当初から今日までその伝統は廃れることなく受け継がれている。 |
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