ルアンパバーンの町 |
遺産形態 |
文化遺産 |
遺産名称 |
ルアンパバーンの町 |
関連遺産ページ |
ワット・シェントーン、王宮博物館、ワット・マイ・スワナ・プーン・ラーム、プーシー山 |
遺産規模 |
2km2 |
所在地 |
ラオス人民民主共和国ルアンパバーン県 |
位置図 |
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地理(周辺状況) |
ルアンパバーンの町はラオス北部、首都ビエンチャンから北東367キロ、メコン河を500kmほど遡った河岸に位置している。ちょうどナム・カーン川がメコン河に合流する地点にあたり、その2河川によって形成された広くはない盆地にルアンパバーンの町はある。東西2km、南北1kmほどの小さな町で、周囲は山がちで豊かな森林に恵まれている。気候は熱帯モンスーン気候で、雨季(5月から10月)と乾季(11月から4月)がある。年間平均気温は25度程度、年間降水量は1300mm程度である。ルアンパバーンの町には3万人程度、県全体では36万5千人ほど(1995年)が生活しており、その大半が農業で生計を立てている。主要な農産物は陸稲であるが、そのほかにも安息香やラック染料などが生産されており、東のベトナム、北の中国との交流活動も盛んである。県内では絹糸や綿糸を用いた伝統的な手織物業も行われている。民族的にはラオ族が中心を占めているが、この地の先住民族と言われるモン・クメール系のモイ族も多く、チベット・ビルマ語系のフモン族なども生活している。少数民族のなかにはそれぞれ系統の違った言語を持つものも少なくないが、共通語としてはラオス語が用いられている。ルアンパバーンでは14世紀のランサーン朝建国以来、上座仏教が信仰されてきており、朝方、通りでは施しをおこなう人々が出家者の通りを待つ。出家した人々は俗世を離れ、サンガと呼ばれる集団修行組織に加入している。ルアンパバーンに多くの仏教寺院が維持されているのも、人々の信仰の現れである。一方で精霊信仰も根強い。新年の行列でねり歩くプーニュー・ニャーニュー(ニューおじいさん、ニューおばあさん)は天地創造時の原初の夫婦であり、この町の守護霊である。しかしこのような精霊の祭祀は、1975年の革命に伴う政治的な変化、さらには仏教側からの攻撃を受けて衰える方向にある。ラオス国内には鉄道がなく、ルアンパバーンにいたる道は空路かバス、もしくはメコン河を利用した水運に頼ることとなる。そのような要因もあってルアンパバーンは古都としての風情を保っている。 |
世界遺産登録状況 |
登録基準 |
(1)ある期間を通じ又は世界のある文化上の地域において、建築、技術、記念碑的芸術、都市の構成又は景観の意匠に関し、人類の価値の重要な交流を提示するもの。
(2)人類の歴史上重要な時代を示す、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積又は景観の顕著な例。
(3) 特に回復不能な変化の影響の下で無防備状態となっている場合における、ある文化(又は複数の文化)を代表する伝統的集落又は土地利用の顕著な例。 |
登録年月日 |
95/12/09 |
危機遺産登録 |
なし |
成立時期(時代等) |
14世紀〜20世紀 |
遺産概要 |
この地域には10世紀以前には既にタイ系のラオ族の拠点として小国が存在していたと言われるが、現在まで残る寺院群の基礎が形成されたのは1353年にランサン王国の首都となって以来のことである。1563年に首都はビエンチャンに移ったが、その後もラオ族の文化的な中心としての地位を守りつづけてきた。ラオスの国土は現在までにビルマ、シャム軍の侵攻、フランスによる植民地化、1953年の独立以後の内戦など多くの戦火をくぐりぬけており、ルアンパバーンの町も何度か被害を受けている。現存している寺院の多くは何度も再建されたものであるが、白壁に覆われた高床式の家屋や高い三角屋根の寺院建築など、ラオス独特の建築様式を守っている。町の中心に位置しているのはフランス植民地期に建設された旧王宮である。そこに安置されている高さ50センチほどの黄金の仏像、「パバーン」は14世紀以降この町の守護仏であり、さまざまな宗教行事の中心であった。現在でも正月4日にはパバーンが王宮博物館からワット・マイへ、古式ゆかしい行列とともに輸送され、読経や潅水の儀式が行われる。豊かな森林とメコン、ナム・カーン両河川に囲まれ、全体としてこぢんまりとしたまちである。歩き回るのにそれほど時間はかからない。フランス統治下に建設されたヨーロッパ風、ベトナム風建築物がラオス風のものと隣接し、全体として美しい町をつくりだしている。1992年以降、ルアンパバーンでは外国政府、国際機関等の援助により寺院の保存・修復作業が進められてきた。1993年から1994年には遺産保護地域選定の作業が進められ、ついに1995年、ルアンパバーンの町は世界遺産に登録された。 |