世界遺産としての価値
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清水寺 |
清水寺 資産の残存形態は、日本の歴史的建造物のほとんどが木造であるため、京都においても中心市街地では度重なる内乱や火災等により、古代の資産はその多くが地表面から失われているが、周囲の山々の山腹や山麓部は内乱の影響も少なく、10世紀中期以降の建造物や庭園が残り、自然とそれらとが一体となって歴史的周縁部を形成している。
一方、主要部分は近代化が進んでいる中心市街地でも、16世紀末以降のものは焼失せずに残っているものがある。こうした資産の残存形態は、近代都市に囲いこまれて歴史的中心が残る西欧等の石造の都市に対し、木造建築を主とする京都に特有のものである。
さらに、京都では祭りや茶の湯、立花等の伝統文化が盛んに行われ、市民の生活や精神の中に資産が活用され文化として生き続けており、名実ともに日本の伝統的文化の中心地となっている。
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二条城 |
これは、京都市民をはじめ日本の国民が歴史的資産を大切に守ってきたからといえよう。また、今日まで文化の連続性が保たれていることは、歴史上外国からの侵略がもたらす異文化による日本文化の破壊がなかったことと、第2次世界大戦時に京都が爆撃の被害を被らなかったという事実が大きな要因であろう。
京都は木造建築を主体とする歴史的都市の中で、1200年にわたり一国の文化の中心として機能しつづけている点においては世界で唯一の都市であるといえる。
京都に残る歴史的建造物や庭園の多くは、国または各自治体により文化財に指定され、京都は質、量ともに国内最高レベルの文化財の集積する都市である。その中で、登録された資産は、10世紀から19世紀にわたる日本の代表的建造物や庭園であり、地域的にも、時代的にも京都の歴史を説明するに足る文化資産群である。そして、これら京都に集積する文化財は、全体として、日本の建築史・庭園史を物語るものである。
京都は8世紀末から19世紀中期まで首都であり、その政治・経済力や文化的教養を背景に、各時代の日本の先進的文化を育ててきた都市である。その中で、建築においては12世紀までの神社や寺院建築に用いられていた日本の基礎的建築様式である「和様」や、16世紀末から17世紀初頭に用いられた装飾の多い「桃山様式」は、京都において洗練され全国に伝播していった様式である。
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仁和寺 |
庭園においても、浄土式庭園や枯山水などに同様の現象が見られる。また、16世紀以降各地で都市形成が盛んになった時期に、中心部と周縁部とからなる京都の都市構造を規範とし、京都文化を取り入れた「小京都」と呼ばれる都市が地方に建設された。このように、登録資産は日本の建築、造園、都市の発展に多大な影響を及ぼしたものである。
登録資産に含まれる建造物や庭園は、造られた各時代の精神を反映した姿を呈しており、日本における貴族文化、武家文化といったかつての社会構造を明らかにする上で重要なものである。また、木造建築から鉄骨造やコンクリート造の建築への建て替えに代表される、建築・都市の不燃化・近代化による都市景観の変貌が著しい中で、登録資産は優れた木造建築が環境と一体となって残しており、失われつつある日本の伝統的木造建築文化の証人として、またその技術の伝承のためにもかけがえのない存在である。
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龍安寺 |
これらは、日本の文化史を彩る各時代の建築様式(特に、神社、寺院、貴族住宅)、庭園様式の代表的な形式を示し、歴史的発展を説明するものとなっている。また、それぞれの資産は建築群、庭園、周囲の自然により、社寺または城として個性化された建築的アンサンブルであり、中には、日本の神社、寺院における、ある時代の典型的形式を呈するものが含まれる。
登録された17の資産のうち16は宗教施設である。これらは、日本の神社、寺院における建築群と環境のアンサンブルの典型を含むのみならず、日本の神道、仏教の形成、両者の混交の歴史、さらには日本の宗教的空間の特質を理解する上で極めて重要な根拠となっている。また、京都は常に多くの巡礼や信者が全国から訪れる宗教都市の一面も有しており、日本の宗教文化の形成に大きな影響を与えた都市である。
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慈照寺 |
なお、庭園に関しては、自然と生活とが融合し芸術的に昇華された造形として、日本の文化史上欠くことのできない要素であるばかりか、世界的にも”日本庭園”はその美的価値が広く認識されていることから、歴史的営造物という点で、文化的・芸術的価値の高い風致景観という概念においても、世界遺産の価値を有するものといえよう。
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