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琉球王国のグスク及び関連遺産群
琉球王国のグスク及び関連遺産群

 いずれも、琉球が統一国家へ始動し始めた14世紀後半から、王国が確立した18世紀末にかけて生み出された琉球独自の特徴を表す文化遺産群である。グスクは、歴史的に農村集落の中核をなし、城としての機能も持っている。また、御獄は琉球地方独自の信仰形態の特質を表している。
 世界遺産への登録は、平成12年(2000年)。

首里城、王陵、園比屋武御岳石門、識名園、斎場岳門、中城城、勝連城、座喜味城、今帰仁城
復元された守礼門
復元された守礼門(首里城跡)

世界遺産としての価値
園比屋武御岳石門
(1)登録資産を構成する個々の記念工作物及び遺跡は琉球の立地的特性の故に、日本、中国及び東南アジア諸国との政治的・経済的・文化的交流の過程で成立した独立王国の所産であり、独自の発展と経過をとげた琉球地方の特異性を示す事例群である。

(2)登録資産のうちグスク跡は、日本列島最南端の島嶼地域に展開した農村集落を基盤に成長した豪族層が、政治的な統合と連合の過程で形成した防衛的な城塞施設の考古学的遺跡として極めて貴重な事例群で、今は失われた古い琉球社会の象徴的存在である。同時に、グスクは歴史的に農村集落の中核をなしており、地域住民にとって先祖への崇拝と祈願を通じて相互の紐帯を確かめる精神的な拠り所として、今なお琉球文化の重要な核心をなしている。

復元された久慶門(首里城跡)
(3)登録資産を構成する個々の記念工作物と遺跡及び文化的景観は、当時の琉球の土木、建築、造園の各技術が独自に高度な文化的・芸術的水準を保っていたことを例証する極めて重要な事例である。とりわけ玉陵や園比屋武御獄石門等の石造記念工作物や、野面積から切石積へと変化するグスクの石積あるいは、アーチ式の石造門等には、中国や東アジアの石造建築等の影響が濃厚に見られるとともに、琉球独自の素材を活かした優秀な意匠・技術を認める。また、識名園の平面配置や景観、アーチ式の橋や石樋等の施設には、同時代の日本庭園と中国庭園との融合の結果生まれた琉球地方独特の空間構成や意匠が見られる。 すなわち、これらの個々の資産群は、琉球王国の成立期から確立期における石造記念工作物や文化的景観の優れた事例である。

座喜味城跡
(4)登録資産を構成する個々の記念工作物と遺跡は、琉球地方独特の信仰形態の特質を表す顕著な事例である。とりわけ、各グスクには農村集落の信仰上の聖域的機能を持つものも多く、現在でもノロと呼ぶ神女を中心として祭祀行為が行われ、グスクは学術的な重要性を有する遺跡であるとともに、地域住民の精神的な拠り所ともなっている。また、国家の祭祀拠点であった斎場御獄は、峻厳な岩塊と鬱蒼とした叢林が聖域としての御獄の本質を示しているだけでなく、樹叢の間からは東方の海域とそこに浮かぶ小島が望まれ、ニライカナイと呼ぶ神の国は海の彼方にあるのだとする琉球独特の自然崇拝的な信仰思想と緊密に関係する文化的景観の顕著な事例である。琉球地方では、このような自然崇拝的な信仰思想に基づいて、現在でも各種の宗教儀礼や祝祭が盛んに行われており、住民の生活や精神の中に資産が活用され、文化として生き続けている。

また、これらの資産群は、沖縄島が第二次世界大戦時に戦場となったことによって被った破壊から、沖縄県民が復興するうえでも、重要な精神的拠り所としての役割を果たしてきた。

保存修復の歴史
復元された正殿(首里城跡)
 創建後から第二次世界大戦前までは、国宝保存法、史蹟名勝天然記念物保存法に基づいて、定期的な城壁の修理や、建造物の解体修理に加えて、除草や樹木剪定等の日常的な維持管理作業が行われ、資産の価値が十分に保護されてきた。しかし、1944〜1945年にかけて沖縄島が第二次世界大戦末期の戦場となったため、各推薦資産はかなりの被害を被った。特に、日本軍の司令部壕のあった首里城をはじめ、園比屋武御獄石門、玉陵及び識名園等の被害は甚大であった。 武家屋敷跡(今帰仁城跡) 各登録資産は、琉球王国時代の代表的な文化資産として、沖縄の歴史を具体的に証明するものばかりである。戦後、被害を被ったこれらの資産を修復または復元整備することは、当該資産の適切な保存に極めて有効であったばかりでなく、沖縄の伝統文化の継承、沖縄の文化についての認識の深化、新しい文化の創造発展にとっても極めて重要であると考えられた。また、戦争で喪失した沖縄の文化の復元ということにとどまらず、沖縄県民のアイデンティティーの形成にも、資産の修復は不可欠だとする県民の強い要望も存在した。
武家屋敷跡(今帰仁城跡)
 このような情勢に鑑み、沖縄県民が戦災から復興するうえでの礎として、沖縄の施政権が日本に返還された年の翌年の1973年から、日本政府は総力をあげて首里城正殿の正確な復元を含む首里城跡全体の整備事業を開始したほか、それ以外の各城跡では文化庁の国庫補助事業のもとに城壁や門等の保存修理事業及び復元整備事業、環境整備事業が継続的に行われてきた。  資産の保存修理や復元整備にあたっては、精度を高めるために、発掘調査による遺構や遺物に関する情報はもちろんのこと、戦前の遺構の保存状況についての聞き取り調査や、写真、図面、絵図、文献等による確認、類例遺構の調査等をもとに、建物や城壁等の詳細な復元計画図面を作成し、関係各分野の専門家で構成される個別の史跡の復元整備検討委員会において十分検討したうえで、実際の事業に着手することとしている。また、残存する遺構や部材を最大限尊重することはもちろんのこと、材料を新規に補充する場合には、元の材料と同質の材料を用いるなどの適切な配慮を行っている。
今帰仁城跡
 考古学的な遺構の保存方法については、覆土によって保護する方法を基本とするが、特に脆弱な土や石灰岩等からなる遺構の場合には、適宜薬品を用いた理化学的な保存方法で強化処理を行い、石灰岩の岩盤が亀裂などによって不安地となっている場合には、物理的な安定を確保する工学的な方法等を採用している。これらの遺構の処置の後に、元の遺構と復元した箇所との境界を明示し、場合によってはその上に、復元根拠となる資料の精度も考慮しつつ、建物の復元整備を行っている。

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