西暦710年、日本で最初の本格的な都が奈良の平城京に築かれました。シルクロードにつながる国際都市として繁栄し、文化交流によって日本の文化が大きく発展しました。
784年には都が京都に移り、平城京の中心部は田園と化します。しかし、多くの寺院はそのまま奈良に残り、門前町として繁栄を続けました。そして今、1300年の悠久の時を刻む建造物群が、多くの人々を呼び寄せています。
古都奈良の文化財は、次の8つの資産で構成されています。
東大寺
金堂、通称大仏殿は世界最大の木造建造物です。大きさは東西57メートル、南北50メートル、高さは49メートル。1180年と1567年の2度のわたり武士たちの戦いで、大部分が焼失しました。現在の建物は1709年に再建されたものです。
興福寺
再三の火災に遭いましたが、その都度旧形式を踏襲して再建されてきました。高さ50メートルの五重塔は日本で2番目に高い塔です。1426年に復元されました。
春日大社
杉木立の中に灯籠が並び、檜皮葺の社殿が自然の中に溶け込んで建ちます。その建築群の構成は、日本の神社建築の伝統を伝えています。
春日山原始林
自然の中に神の存在を感じる日本人の伝統的な自然観にしたがって、春日大社の聖域として守られてきました。社殿と自然が一体となった文化的景観とされています。
元興寺
8世紀後半に完成した寺です。本堂は1244年に再建されました。柱や瓦の一部には建設当初のものが使われています。
薬師寺
本堂を中心に東西2つの塔がそびえる、荘厳な古代都市のモニュメントです。
730年に建立された東塔は、伽藍の中で創建当時のまま残る遺構です。
唐招提寺
唐僧・鑑真が、戒律を学ぶための寺として759年に創建しました。今も残る金堂は、日本建築史上極めて価値が高いものです。
平城宮跡
710年から784年まで政治の中心地でした。面積は120ヘクタール。発掘調査は1955年に始まり約3分の1を終えました。建物などの配置とその変遷、役所名をはじめとする律令組織などが明らかになりました。
世界遺産としての評価
- 日本の文化が、中国や韓国との交流によって大きく発展したことを示しています。
- 古代の日本の首都に開花した文化を伝える極めて貴重な証拠です。
- 日本の国家や文化の基礎が整った重要な時代である奈良時代の様子を伝えています。
- 神道や仏教など日本人の信仰と密接な関係があり、年中行事などを通じて市民の暮らしの中に生き続けています。
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