
春日大社の創建は768年ですが、それ以前からも古代信仰の場となっていました。古代の日本人は、存在する大自然の営みの中に神妙な霊威を感じ取ってきたのです。日本が政治的・文化的に確立されようとしていた8世紀、春日大社は、奈良の都・平城京の鎮守として創建されたため、大陸から儒教文化などの思想を取り込んで融合させ、その後の神社の沿革に大きく影響を与えてきました。信仰は時代の変遷と共に貴族から武士へ、やがて近世になって庶民へと広がり、今も人々に親しまれています。 鳥居をくぐり、杉木立の中の参道を進みます。両側には庶民から寄進された石灯籠が並びます。その数は約2000基。古いものは苔むし、風化し、石に刻まれた寄進者の名前が読みとれません。 鳥居から1kmほど進むと朱塗りの色彩が鮮やかな南門が建ちます。楼閣状で回廊がめぐります。回廊にはおよそ1000基の釣り灯籠が下がります。本殿はその奥にあります。神聖な建物とされ、ふだん人目にはさらされません。現存する本殿は、1863年に建て替えられたものですが、姿は12世紀のものです。当時の洗練された優美な姿を今日に伝え、国宝に指定されています。正面に庇を大きく突き出した形の春日造りと呼ばれる様式です。高さ6メートルの4棟の建物からなります。柱は、土の中に深く埋め込む構造とは異なり、四角に組まれたの木の土台の上に建ちます。日本の神社本殿建築を代表する一つです。社殿の建物は創建以来、破損に応じて修理や建て替えが行われてきました。
現在の回廊の解体修理は1991年から始まりました。回廊の長さは約200メートル。柱の数は251本。現存の建物は1386年の建築です。修理のきっかけとなったのは、礎石が沈下し軸部分が傾いたから。虫食いや腐食した箇所もあり、全体に傷みが大きかったので解体修理になりました。
本殿はかつて約20年ごとに同一形式で立て替えられました。式年造替の制度です。15世紀ごろに確立され、1863年まで続けられてきました。新しい木材で全く同じ建物を造ります。修理や建て替えを儀式として取り込み、その存在意義を20年ごとに確認し、日本人の心を伝えてきたのです。古い社殿は、近隣の神社に払い下げられるのが習わしでした。日本の各地の神社には、近世の造替で移築された春日大社の旧本殿が現存しています。19世紀になってからは、屋根の葺き替えを中心とした修理に変わりました。
また、春日大社には、奈良時代に中国やベトナムなどから伝わったとされる舞楽が伝承されています。厳かな調べに合わせて優雅に舞う「春日舞楽」です。発祥の国では、すでに滅び去っています。人々の享楽のため演じられていたためで、時代の変遷と共に廃れていったのです。しかし、日本に伝えられたときは、神事として取り込まれたため、形を変えず、今日まで伝えられてきました。本殿をはじめとした有形の文化財と、舞楽の無形文化財があってこそ、過去の遺物としてではなく、生きた文化財として命脈を保っています。

春日山原始林も春日大社とともに世界遺産に登録された資産の一つです。社殿の東に広がる小高い山と森です。その名の通り、都市に接しながらも原始性を保っています。古来、神の宿る信仰の山としてあがめられ、841年からは、狩猟と伐採が禁止されました。春日大社の聖域として守られてきたのです。世界遺産登録に当たっては、自然の中に神の存在を感じる日本人の伝統的な自然観によって保存されてきたことから、自然遺産としてではなく、文化遺産として認められました。春日大社と春日山原始林は、社殿と自然が一体となった文化的景観とされています。景観は、古より変わることがありません。
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